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ラウム様
先天大道
天 壇
天盤と道盤
明 師
点伝師
功 徳
得 道
三陽期
三期末劫
三曹普渡と超抜
四生六道
超生了死
因果応報
霊 性
魔 考
五大宗教
道 脈
陰陽五行
五常八徳
七情六欲
十悪と十善
三厭五葷
収円の三佛
   

 

 


ラウム様
天道に於いての主神。礼拝いたします神様は、
ラウム様と申し上げます。
ラウム様は、普通一般の宗教等に於ける、御本尊、教組、宗祖等とは全く異なります。人としてただの一度もこの世に生まれられた事の無い大霊で、天地宇宙未形成の大昔よりご存在の唯一の神様ですから、親神様、元神様とも申し上げます。天地宇宙万物一切をお造りになられ、全てを滞りなく運転養育されています。春夏秋冬、昼夜、陰陽の循環交代、動植物や鉱物の造化、存続、変化、生滅等、一切を主宰されています。
   私達が生を受け、霊気と智慧を備えるのも、
ラウム様に賦与された故であり、美しい品性、純潔な心、高い理想、至善の徳も本来備わっているものです。
ラウムというご尊称は人が付けたのではなく、
ラウム様が自ら名乗られたもので、天道では統一してその様に申し上げております。使っている字は、ラウム、皇中、中と有りますが、いずれも「らうむ」と中国語の発音に倣って呼び習わしております。
「中」の字は、陰陽全てを具備した先天の母と言う意味をもった字で、後天の「母」の字の元字になっています。
   昔は自らなのられていなかった為に、五教(道教、儒教、佛教、キリスト教、回教)の聖人はそれぞれ次の様に
ラウム様を呼びしておりました。
 釈迦佛――――――阿弥陀佛、西天佛母、瑶池金母
 孔子様――――――上天、明明上帝
 老子様――――――万霊真宰、無極聖母、天地成育の母
 キリスト様――――神、天にまします父
 マホメット様―――アラー、天主、大神

先天大道(発一天道)
「道」とは、天地万物に備わる道理一切を示す言葉です。その道が、天が生ずるより以前からある大きな道で「先天大道」と言います。
  天には「天理」が有り、地には「地理」、人には「性理」があり、人の性理は、人の本質である霊性の持つ道理で、三宝を得て、理天に帰れる道理を指します。従って、三宝を「性理真伝」と言います。「性理真伝」を伝える道を「天道」と言っており、「発一天道」は中国天津に発し、中心となる天道(金線の天道)の名称であり、恩師、恩師母から韓恩栄老前人様に引き継がれている天道の名称です。
  第十一代の明師「何祖」が貴州省、雲南省、更に西蜀に道を宣揚され、「西乾堂天道」と名付け、十五代のお王祖が「東震堂天道」と改称され、更に十六代劉祖が「一貫道」と改称されました。その「一貫道」が天津に伝わり、天津のグループを「発一組」と言い、発一組の天道を「発一天道」と言います。
  道は千条万条と有り、正道―邪道、大道―小道、直道―曲道、顕道―隠道、と様々です。人はその様々な因縁によってそれぞれの道を歩きますが「先天大道」こそが最も広く平坦で明るい道です。得道の機会が三曹全ての原佛子に与えられ、等しく先天大道の恩恵が受けられることになり、将来全ての道が一つに統合されます。(このページのトップに戻る)

天 壇
天壇とは、先天の佛壇です。道を得ることの出来る唯一の清浄な場所で、
ラウム様をはじめ諸天神仙佛と人間が会見できる唯一の正式な場所です。今の時代においては、天壇は一艘の法船(宝船)、救いの船です。この船は時間が来れば出発し、乗り遅れの人を待ちません。この船に乗るには、得道式に参加し、三宝を得なければなりません。思想や宗教の違いを超え、善縁ある人は全てこの法船に乗る資格があります。
天壇には、公共天壇、家庭天壇の二種類があり、壇主と言う天壇の主人が責任を持って管理運営しています。天壇では佛規に則り儀式や献香礼拝が行われています。公共天壇は得道式、学習会、法会など多くの人が一堂に会して行事を行ないます。家庭天壇は、原則としてその一家族が礼拝する天壇です。壇主となるには家族全員が得道し、且つ最低一人は精進潔斎しなければなりません。
  天壇には一定の形があります。
@ 佛灯が三灯。中央の佛灯を通天灯といい、理天と直接結ばれていて、
ラウム様を表象します。残りの二灯は両儀灯といい、陰陽(天地、乾坤等)の両儀を表象します。佛灯を灯すことにより、天壇の周囲は神佛によって護られます。
 A 佛像が数体配置される。天壇にお祭りされている佛像は、所謂、御本尊と言う類ではなく、現在の天道における担当佛です。
 先ず、中央は彌勒古佛(布袋様)で天盤を司られ、いわば宇宙の総理といったお立場です。観音菩薩は助道の首領というお立場です。
  済公活佛は道盤を司られます。これらの佛や菩薩は、何度も転生されて世を救い人を救っておられます。
  天壇に佛灯が灯されますと佛光が満ちます。佛光は純陽の光で心の闇を照らし、身体の陰(病気等)を照らします。又、天壇で焚く線香は、邪や魔を遠ざけるばかりでなく、縁有る亡霊の救いにもなりますので、出来る限り時間を作って天壇にお参りして下さい。来れば来るほど、神佛との縁も深まり天道の奥妙の理も自然と体得できます。


  
天盤と道盤
天盤は宇宙全体で、彌勒古佛がこれを治められます。よって彌勒祖師を掌盤祖師とも言います。道盤は三界(気天界、象天界、陰界)で済公活佛(天然古佛、師尊)及び月慧菩薩(中華聖母、師母)が治められます。

 

明 師
  明師は、天命により明に暗に代々天道を伝える神佛で、明師が人としてこの世に存在されないかぎり、天道は伝えられません。明師は一代に一人か二人で、普通はどこの誰かも解らず鉄の靴が摺切れる程迄歩き探しても会えないと言われました。しかし、今は明師の方から善縁者を訪ねる時代になりました。
  後期中国の第十七代の明師は路中一祖(白陽初祖、彌勒祖師の転生)で、一八四八年(江戸時代末期)戊申年四月二十四日生まれ、一九二五年(大正十四年)乙丑年二月二日、   七十八才でこの世を去られました。以後の五年間は路祖の妹君が明師の代理を務められました。
ラウム様の直接の天命により乾坤を等しく救うため、師尊、師母の二方が一九三十年(昭和五年)第十八代の明師になられました。師尊は、張天然祖で、済公活佛の転生です。一八八九年(明治二十二年)己丑年七月十九日生まれ。一九一五年(大正四年)二十七歳で得道され、一九三○年(昭和五年)、四十二歳で明師の天命をお受けになられ、一九四七年(昭和二十二年)五十九歳で帰天されました。帰天後の佛号を天然古佛と申し上げます。前世は宋の時代の済公活佛(李終縁和尚)、本名、張奎生。道号、張天然。他に、弓長祖、活佛師尊、恩師とも申し上げます。師母は孫素真祖で、月慧菩薩の転生です。一八九五年(明治二十八年)乙未年八月二十八日生まれ。一九三○年、三十六歳で明師の天命を授けられ、恩師の帰天後永く天命を担われ、一九七五年(昭和五十年)乙卯年二月二十三日、(新暦四月四日)八十一歳で帰天されましたた。本来、明師がこの世に存在されない限り、道は伝えられないのですが、特別の天恩で明師の代理の点伝師により、少しの間だけ道は伝えられています。やがて得道したくても出来なくなります。(このページのトップに戻る)

点伝師
  一点を伝える。つまり、閉じている玄関竅を打ち開き、三宝を明師に代わり衆生に授ける天職者を点伝師といいます。本来は明師のみに三宝を伝える天命が有ったのですが今は「馬を走らせて点玄する時期」であり、短期間に多くの衆生を得道させなければならない時期になった為、多くの点伝師が日夜忙しく得道式を行ない、三宝を伝え道を説いています。点伝師は天命による天職であり、壇主、講師、班長、道務員等を率いて、重大な任務を果たしています。自分が点破して頂いた点伝師は良く記憶し、感謝を忘れないようにしてください。
引保師
(1)引 師―――衆生を得道するように導いてくる人。又、紹介人とも言い、得道式の時、壇前で誓願を立て求道者を神佛に紹介し、誠心誠意で得道する事を神佛に対して保証して下さる方。
(2)保 師――――壇前で誓願を立て、得道を希望する人に天道が真の道である事を神佛に代わり保証して下さる方。
 引師、保師の二方がなければ、どんな人でも得道出来ません。又、誰でも一応保師の
格は有りますが、親子、兄弟、親類縁者は感情抜きでの紹介保証が出来にくいので引保
師にはなれません。その場合は代理の引保師を前賢にお願いしなければなりませんが、
選定する時は、身近な人か、その天壇の壇主、講師等、道に対する理解が深い人にお願
いする様にして下さい。引師の場合は、得道してすぐにでもなれますが保師はよく道の
事を理解している人になって頂くべきです。実際の引保師が得道式の場に居合わせない
場合も代理の引保師を立てなければなりません。
 引保師は求道者の直接の引責者であり、ただ得道させるばかりでなく、求道者が道に違
わない様に最後まで導く責任があります。引保師の誓願に違わない様にしなければなり
ません。
求道者は、得道出来た暁には引保師が誰であるか忘れないようし、常に感謝の心を表し
てください。


功 徳(功徳費)
  この人の世は、全て自分と相手という関係を基として成り立っています。相手を生かし、相手に生かされて生活しています。その社会の中に於いて行なう善事、とりわけ道を伝える聖務に於いて、三種の施しによって立てた手柄を功徳といいます。功徳を立てれば前世や前々世に作った罪も消すことが出来、功徳が多ければ完全に輪廻を脱し、将来理天に帰って佛の座が与えられます。「施し」は見返りを求めずに与え切る事。一般には布施と言い、施してなお施しの心を持ったない事で、あらかじめ見返りを求めてなす「施し」は功徳とはなり難い。
財 施―――財物、金銭による施し。自分の力量に応じて財を施す事で、お供え物を買ったり、ご聖訓の印刷費用を出したり、天壇設立の費用を出したり、道親の移動の為のガソリン代を出す事で財施の功徳が立てられます。
法 施―――人を得道させる為に道理を説いたり、得道した人が退かない様に道理を説く事で、天に代わって道法を宣揚し、佛に代わって佛法道理を話し、人を成全させれば法施の功徳が立ちます。法施をする事によって自分の学問を進歩させる事も、智慧を増加させる事も出来ます。
  道理を説く時は、イデオロギーや天機に関する事は言わず、又、宗教の批判もせず真理のみを説く様に心掛けるべきです。法施の功徳は無量ですが、虚偽を説けば罪になります。更に、自己流の解釈や、自分の主観のみで説く事も注意すべきです。
無畏施―――無畏とは相手に畏れの心を抱かせないと言う意味です。そこで、道の為に人の為に誠心誠意で様々な行為をして道を助けるのが無畏の布施です。道親の接待、印刷物を作ったり、天壇の内外を掃除したり、食事を作ったりして、聖事の手助けをする事で無畏施の功徳が立ちます。
功徳費―――得道の時ただ一度だけ求道者に納めて頂くもので、聖事にのみ使われます。得道者の功徳の立て初めともなるもので、道を得る為の真心の証として納めて頂きます。決まった額はなく自分の力量に応じて納めます。(このページのトップに戻る)


得 道
  得道とは、「道」を得る。つまり、悟りの道を得る事です。人間本来の面目を回復し死後の霊性は極楽浄土(理天)に帰ることが出来ます。
「道」は三宝として伝えられ、本来は一般の人々には伝えられない秘宝でしたが、三期末劫と言う天時天運により、広く一般大衆はおろか、地獄の亡霊にさえも伝えられる事になりました。
  現在の得道は、求道者が引保師に伴われて天壇に赴き、功徳費を納め、得道儀式に参加し、儀式の中で一定の誓願をした上で三宝を得ることが出来ます。三宝を以て得道の証しとし、以後、身を修め功徳を立てる事によって死後の霊性は理天に帰ることが出来、在世中に於いても、種々の災難から逃れる事が出来ます。「道」の意味は単なる人の道や道徳等ではなく、佛や菩薩の道、利他の道です。七情六欲(後述)を離れ、名利恩愛酒色財気に執着せず、争わず、五常八徳(後述)を自然に身に備えるようになって初めて道を得た価値がありおます。佛菩薩の言葉、佛菩薩の行ないに効うべきです。


三陽期
  人の一生は、幼少年期、青年期、壮年期、老年期という様に分ける事が出来ますが、天体にも、地球にも生命の移り変わりと同じ様に一定のサイクルが有ります。宇宙の一生の単位は「元」で十二万九千六百年です。それを十二等分すると一万八百年となり、これを「会」と言います。会は十二あり十二支により分けています。子の会に天が開かれ丑の会に地が開かれ、やがて、戌の会に天が収められ、亥の会に全て混沌として、再び子の会を待ちます。この一元転輪の中で天道の道脈(後述)が伝わるのは、午の会から未の会に至る一万五千三百年程で、一元の内の十二%にしか過ぎません。午の会の後半から千五百年間を青陽期と言い、昇り始まる太陽の如く、道脈の青少年期であり、春の時期に相当します。道により二億人が理天に帰り、縁無き者は、九つの水による劫難により淘汰されました。天盤を燃灯古佛が司られ、道盤は伏義氏が担われました。続いて午の会の残り、西暦前一一一一年から三○一六年間を紅陽期と言い、沖天に輝く太陽の如く、道脈の壮年期であり、夏の時期に相当します。同じく道により二億人が理天に帰り、縁無き者は十八の火による劫難により淘汰されました。天盤を釈迦文佛が司られ、道盤は、四正文佛(大公望)が担われました。午の会が終わると未の会で、一万八百年全てが白陽期で、沈み行く太陽の如く、道脈の老年期であり、秋の時期に相当します。西暦一九○五年(明治三十八年)三月十八日より白陽期になり、やがて、三期末劫(後述)が来ます。水火風の三災による九十一の劫難で約七割の人類が淘汰されます。
  白陽期は本来太平無事な世の中で、三期末劫の四十九日の暗黒を経た後は、この世の極楽とも言うべき時代が訪れ、一万年以上続きます。
天盤を彌勒祖師が司られ、道盤は済公活佛、月慧菩薩が担われています。
【将来の状況】
1、天命によりこの世に降り任務を果たした人(超生了死、ラウム様の元に帰る)
2、得道者
  @真修者(功果円満、理天に帰り聖仙佛となる)
  A有修者(功果不足、劫等からは免れ、白陽人の祖先となり、不足分を白陽の世で修道してから理天に帰る)
  B無修者(無功無果。劫等で死に、白陽人として生まれて来て、最初からやり直し。将来功果円満になってから理天に帰る)
3、得道しない者(残霊となり、地獄で苦しむ)

三期末劫
  三期とは、三番の時期、つまり、白陽期の事です。白陽期には延康風劫と言う風による八十一の劫難が有り、その最後の一つが最も大きいな劫難で、それを三期末劫と言います。善縁者は道を得て救われますが、縁の無い人は全て淘汰されます。今は、道と劫が同時に下されている時期で、どちらかを選択せざるをえません。一人一人明確に区別されますので、偶然に助かるとか、偶然に淘汰されるとか言う事はありません。
  三期末劫は、人間があまりにも多くの罪を造りすぎた為に、
ラウム様がこの世をきちんと整理し直すために下されるのもです。三期末劫は、核戦争によってもたらされます。文明文化は殆ど破壊され、残るのは天壇とその周辺のみです。四十九日の暗黒が明け、生き残った人々が地上の整理をし、それから新しい本来の白陽期が創られて行きます。世界が一つになり、彌勒祖師が再び転生され、この世の極楽が生まれ約一万年続きます。その後は人類は皆、もと居た故郷理天に帰ります。
 ※資料:「皇中慈音」「ラウム訓子十戒」「師徳宝巻」(このページのトップに戻る)

三曹普渡と超抜
  「生を渡して死を渡さず」と言うのが本来の済度の在り方でした。つまりこの世の人間しか救われなかったのですが、地蔵古佛と三官大帝(堯帝――天官大帝。舜帝――地官大帝。禹帝――水官大帝。)が何度も
ラウム様に懇願して下さり、一九三○年(昭和五年)から三曹普渡が許されました。三曹は上曹(気天界、気天の神々)、中曹(象天界、人間)、下曹(陰界、幽冥界の亡霊鬼魂)です。中曹の人間は引保師があれば得道出来ますので、比較的簡単に救われますが、その他は少々面倒で、「超抜」と言う方法により救われます。超抜は亡くなっている方の得道式と言う事が出来ます。気天神は修煉を重ね、縁有る人を尋ねて道のて助けをし、功徳を立てる事により明師によって理天に超抜されます。幽冥界の亡霊、鬼魂は、子孫等の功徳によって救われます。功徳の有る子孫等が、天壇で行われる超抜式に出て、亡霊に代わって功徳費を納め、点伝師によって理天に超抜されます。超抜が通常許される範囲は両親迄で、点伝師になれば祖父母迄許されます。兄弟等は恩抜と言って、功徳が沢山ないと超抜出来ません。若し功徳が不足しているのに超抜すると、超抜した人自身が苦しむ事がよく有りますので、慎重にするべきです。
  子孫が得道すると、その親や祖先は地獄の責苦から解放され、地蔵古佛の元で一輪の白い蓮華を頂き、待合室で超抜の日を待っているそうです。子孫の如何によりその運命を左右されますので、我々の修道はただ一人だけのものではありません。今、道を得て修道出来るのは多分に祖先の遺徳にもよるのですから、その恩を思えば、蔑ろにできません。
  超抜された霊は理天の天佛院自修堂で百日間修練して陰気を去ってから理天に入ります。超抜後百日経てばその霊を天壇に呼び、砂文字を通して結縁する事が出来ます。結縁すればその霊が、細かい事情まではっきり告げ、地獄から理天に超抜された事が分かります。しかし、彼らもやはり理天での修煉が続いているので、結縁は出来るだけ後にした方が良い様です。尚、超抜をする希望者は精進潔斎をしなければなりません。

 


四生六道
  四生とは四種類の畜生類。六道とは、来世に生まれ行く道々。得道しない限り、この間を行なったり来たりして止まらないので、六道輪廻、輪廻転生と言います。
【六 道】
  「気天道、阿修羅道、人間道、畜生道、餓鬼道、地獄道」の六道で、在世中の善悪の大小、過去の因縁因果により別れて生まれて行きます。
  上品の十善業 → 気天道    上品の十悪業 → 畜生道
  中品の十善業 → 人間道    中品の十悪業 → 餓鬼道
下品の十善業 → 阿修羅道   下品の十悪業 → 地獄道
顔や指紋や蛋白質が一人一人異なっている通り、罪業、功徳ははっきり識別されており、偶然性はありません。
【四 生】
畜生道は四つに分かれ、四生と言います。
 1、胎生類:牛馬犬等、走獣類。仁の徳に欠け、耳より霊が抜け生まれ変わります。
 2、卵生類:鳥の仲間。礼の徳が欠け為、目より霊が抜けて生まれ変わります。
 3、湿生類:魚の仲間。智の徳が欠けた為、口より霊が抜けて生まれ変わります。
 4、化生類:虫の仲間。義の徳が欠けた為、鼻より霊が抜けて生まれ変わります。
1234の順で因縁が悪く、罪を償い本来の面目を回復するのは困難です。胎生類でも、草食動物と肉食動物では因縁がかなり違います。又化生類の虫は霊が幾つにも分散して沢山の虫に生まれ変わったりし、その個々が同時に死なないと次の良い段階に生まれ変われなく、そうなると更に本来の面目を回復するのは困難です。四生のもの達は、欠けた徳を補い返す為に一生懸命きているので、彼らを殺生したり、食べたりすれば、その持っている徳を害し、当然罪を造ることにもなりますので、精進潔斎は賢明な策です。(このページのトップに戻る)

 


超生了死
  超生了死とは、字から言えば、生まれるを超えて死を超えて死を終わらす、つもり生まれなくなるので死ななくなると言う意味です。この世は陰陽が相対に循環していますから、この世に生まれたものは必ず始まりと終り、生と死が有り、それが循環します。それも、今世の原因が来世の結果とり、絡み絡んでなかなかその因果の循環から脱する事が出来ず、苦楽の世の中で生きざるを得ません。それに比べて、極楽浄土、理天は純陽の世界で循環もありませんから、生まれると言う現象は無く、当然死ぬことも有りません。一切の苦から解き放されます。ですから超生了死とは、得道した後、修道して功徳を立て、理天に帰り、再びこの世に生まれてこないと言う事です。
  過去に、永遠の安心立命、生死の解脱、悟りを求めて多くの人が修業を重ねましたが悟りを得た人はほんの僅かの人だけでした。今は三期末劫の時期の当たり、三曹に普渡が開かれましたので、行功立徳し、超生了死出来る、又と無い時期なのです。六万年に一度の好機で、三期末劫が来てしまえばその折角の機会も失われてしまいます。

 

 

因果応報
  因果は、因縁果報の略です。因は原因、主因で、縁は助因です。そして、因と縁が結んで出来るものが果です。種子(因)が水や太陽(縁)を得て芽を出し、花を咲かせて実を結びます。これは全て必然的なものであり、この世の万事万物はこの因果の法則から離れられません。播かぬ種は生えず、原因の無い結果を得る事は無く、因果は報い応え合って終わりがありません。又、因と縁が分散すれば滅します。
  人の知恵は神の智慧に及ぶものではありません。現在は目の前に神佛がおいでになり、人の知恵の及ばぬ道理を説かれていますので、素直に聞いて因果の縁を終わらせるべきです。因果律によって世の中は公平になっていますから、現在置かれている自分の状況は他人に責任は無く、その改善を他人に要求すべきものでもありません。社会のせいでもありません。
  今の三期に得る善果は「道」で、悪果は「劫」です。(このページのトップに戻る)

 


霊 性
  人は皆肉体を持ち、尚且つその主宰である霊性が備わっています。霊性は心として、或いは人体の一切を自動運転する存在として認める事が出来ます。霊性には五常八徳(後述)が円満に備わっています。
  霊性は玄関より肉体に宿り、目に見えず、真空妙有なものです。神佛は五常八徳に一つの欠点もなく、功徳を沢山積まれた方々で、玄関竅より発する佛光は全てを包み育み善に化す事が出来ます。霊性は永遠不滅であり、肉体を以て行なった一切の功過の全責任を負います。しかし、人間は目に見える世界しか信じようとせず、肉体が全てとしてその霊性の奥妙な真理を尋ねようとせず、苦海に溺れて、もはや溺れている事さえも忘れています。人は玄関の一点を開かれる事によって本性が明らかになります。本性が明らかになれば、肉体中心の七情六欲の生活から離れるべき事を知ります。霊性は神佛と同じで、本来理天から来たものですから、元居た理天に帰るべきで、いまその時期が来たのです。帰る為には一切の汚れを落とさなければならなく、この機に乗じて、功徳を立てその汚れを落とします。霊性は汚れはしてもその本性は何時までも変わりません。
  ※この度の三期末劫では、本来滅しない筈の霊性も、ひどいものは破滅せられるそうです。その時苦しみは大変なものだそうです。

 


魔 考
  「魔」は得道、修道の邪魔をし、善事を害する悪魔の事です。「考」は考査、試験です。
魔考は修道者の人生上に起こる様々な試煉です。他人や家族、道親間等で心の摩擦が起こったり酒色財気の誘いがあったりします。多くの辛い事や、逆に幸福過ぎる事などを経験する事により、真と仮の区別がつき、度量も大きくなります。どんな事があっても心を動かすなと言うのは無理かもしれませんが、地位が高くなればなる程また魔考も大きくなりますから、我を離れ、常に道の根本をしっかり把握して自然に任せる心持ちが必要です。万事万物に感謝し、その心を踏みにじらないようし、至らぬ己に常に反省、懺悔をするべきです。苦を受け難に遇い、心の行をしてこそ美しい心になれ、いい顔になれ、自然に良い人も集まるようになります。
  魔考や試練に遇い、心が苦しくなったら、不安になったら、不信が起きたら、すぐに天壇に行き、心を空にして通天灯と心を一つにする。そうする事によって、新しい展開があります。暗い夜道は、尋ねる程に迷い易いものです。明るい道は景色を楽しみながら、尚且つ誤る事がありません。夜道を歩く時の懐中電灯も電池が切れかかっていては心細いので、常に天壇を訪れて充電し、更に大きいな光を得て、道を踏み誤らない様に心掛けてください。


五大宗教
本来、如何なる宗教も人を幸福に導く目標を持っています。しかし、その目標とする幸福の意味、価値が時代と共に現実的な欲望に変わり、他力本願的なものになったりした為に、宗教の本来の姿が失われたといっても良いでしょう。
  宗教は本来、心の本源、人の本源を伝えているもので、どの宗教も原点は一つであり「道」によっています。本性にかかる真理を多くの人々に分からせる為には、時代的な背景や地域的な背景が有り、一律にはなかなか分からせることが出来ません。そこで、五つの時代に、五つの地域で、五人の聖人が、五つの方法で道を説かれ、それが五大宗教として残っています。ですから本来の宗旨は全く同じと言っても良いのです。
  地球上のどの人類でも、顔の作りや、言葉や、髪の毛、肌の色が違っても、人間として、皆同じ部品同じ要件を備えているのと同じで、大同小異です。同じ要件を備えている人間なら与えられた法は同じ筈です。
  ◎老子様は、西暦前五百年頃、中国の周の時代の人で、現在の河南省の出身で、道徳経を残され、道を伝えて道教の祖と言われます。
  ◎孔子様は、西暦前五百年頃、中国の周の時代の人で、現在の山東省の出身で、論語を残され、儒教の祖と言われます。
  ◎釈迦佛は、西暦前五百年頃、インドに道を伝え、多くの経典の基となった道法を説かれ、佛教の祖と言われます。
  ◎キリスト様は、西暦前四年に中東イスラエルに生まれられ、道を伝えられて、キリスト教の祖と言われ、その道は聖書によって伝えられています。
  ◎マホメット様は、西暦六百年頃、中東サウジアラビヤに生まれられ、道を伝えられ、イスラム教(回教、マホメット教)の祖と言われ、その伝えられた道は、コーランに残されています。
  本来、宗教は道より出ているので、その宗旨は道を根拠としています。一般にある新興宗教も殆どこの五大宗教の流れを汲んでいるものであり、その本源は同じです。
  今は世の中がひどく乱れていますが、孟子様がいわれました。
「天下溺ればこれを救うに道をもってす」と。
道こそ、国や人種を問わない共通の真理で、現在は今の時代を直接救う法が広く下されているのです。やがて万教帰一、世界が「道」により統一されます。

 

道 脈
  時代が移れば人も変わります。天運が移れば担当の佛も交代します。人の世は、神佛の世界と深い関わりをもって過去六万年の縁を結んでいます。理天の仙佛も、元は皆この人間世界で肉体を借りて終業され、道を得て故郷理天に帰られました。この人間世界で道を得るには、道を伝える者(明師)がこの世に存在していなければなりません。人の命には限りが有り、如何なる仙佛菩薩でも早晩死を迎えますから、道法は次々と伝えていかなければなりません。若し伝えなければ、道の在りかが不明になり、誰も理天に帰り着けなくなってしまいます。その道を一人から一人に代々伝えている明師が道脈を形成しています。その道脈はアジアを中心に存在しています。アジアは世界の中土です。人々の皮膚の色は黄色で、黄色は土で中心を表します。四季もはっきりしていて、五穀も良く稔り、暮らし易いので、人口も最も多い。幹線道路のポイントや駅の周辺には多くの人が集まり、沢山の活動がある通り、天道の道脈、先天大道もこの中土に存在します。天道は中土の三教(道教、儒教、佛教)に交代に連綿と伝えられています。中土以外みも道は伝えられましたが、地域も時代も限られていて、道脈の存在は有りませ。
  道脈の始めは、青陽期の伏儀氏からで、初めは皇帝の間に伝えられ、やがて、十四代老子様(道教)、十五代孔子様(儒教)から十八代孟子様(儒教)まで中国に道脈が有り、次に道脈は西方インドに移り、お釈迦佛の弟子迦葉尊者(佛教)を一代祖として二十八代祖達磨尊者(佛教)迄伝わり、達磨尊者が再び中国に道脈を引き継ぎ、一代祖となり、神光祖(中国佛教)に伝えました。その後六代の慧能祖(佛教最後)迄伝え、道は再び儒教に戻り、十五代の王覚一祖の時、三教(道儒佛)合一となり、現在の明師十八代の張天然祖、孫素真祖まで伝わりました。尚十七代の路中一祖から白陽期になり、路祖を白陽初祖と張祖、孫祖を白陽二祖と言います。又、今は明師が生存しない時期で本來なら道脈は無く、道は伝えられないのですが、特別の天恩で少しの間だけ道が伝えられています。


陰陽五行
  日月火水木金土、この七曜が陰陽五行です。日が陽、月は陰、木火土金水が五行です。
この世にある全ての物質はこの陰陽五行の枠から一歩も脱する事は出来なく、この陰陽五行内において、循環をし続けます。四季、水、風、天体、生命、どれも循環し、陰陽五行を離れて存在できず、脱する物も有りません。人もこの世に生きる限りやはりこの陰陽五行から離れては生存できません。この世の物は全てが相対的に存在しており、お互いに生かし合う循環、「相生」とお互いに克し合う循環、「相克」が有ります。

「相生」(順理)―――木生土、火生土、土生金、金生水、水生木
「相克」(逆理)―――木克土、土克水、水克火、火克金、金克木
 肝臓(木、青、仁徳)    心臓(火、紅、礼徳)
 脾臓(土、黄、信徳)    腎臓(水、黒、智徳)
 肺臓(金、白、義徳)



五常八徳
【五常】
 心の正しい有り方、霊性に本来備わっているものを五常の徳と言い、仁義礼智信がそれです。一つ一つ意味を検討してみましょう。
「仁」 親子の親しみ合う心。万物の命を大切にし、愛し思い遣る優しさ。仁は善の始まりと言い肉食をしないのも仁の心。五行の木徳に合う。
「義」 正義。道徳や倫理にかなった行ない。五行の金徳に合う。
「礼」 この世で生きて行くには様々な人と接しなければならず、立場や年令に応じた相手に対する作法。敬いの心の表現,態度、振る舞い。又、外形を修めて内心を正す。五行の火徳に合う。
「智」 物事の善悪、是非、曲直、正邪、真妄を弁別する心。五行の水徳に合う。
「信」 真で偽りがない。中心。五行の土徳に合う。
【八徳】
  五常の徳に基づき、心を正しく持って人に及ぼす八種類の道。
 「孝」 親孝行。孝は万善の頭。
 「悌」 年少者が素直に年長者に従う心。弟が兄に従順で逆らわぬ事。
 「忠」 君臣の忠。主君に対する忠誠心。
 「信」 朋友の信。友達同士は信じあう。
 「礼」 人に接するに礼儀を弁える。
 「義」 人には正義をもって接する。
 「廉」 清廉潔白。正しく潔く、後ろめたい事がない。
 「恥」 恥を知る。過ちを悟り、恥ずかしく思う心。(反対→厚顔無恥)



七情六欲
  肉体に関わる七種の感情と、六種の欲で、修道上常に問題になる。一般の人はこれを
本能として認めるが、これらに翻弄され心の休まる時がない。修道者はこれを修める。
【七情】
  「喜」 喜び。嬉しい感情。
  「怒」 怒り。周囲に当たり散らす感情。
  「哀」 哀れな、且つ憂い悲しむ感情。
  「楽」 楽しみ。楽しむ感情。
  「愛」 慈しむ。好んで情けをかける感情。
  「悪」 邪でただしくなく、又、人を憎む感情。
  「欲」 何でも欲しく、ついには貪る様になる感情。
【六欲】
  「色」 目で見て起こる物質欲。色情。六根の「眼」に由来する。
  「聲」 耳に声や音を聞いて起こる欲。六根の「耳」に由来する。
  「香」 鼻により匂いを嗅いで出る欲。六根のは「鼻」に由来する。
  「味」 口で味わって出る欲。六根の「舌」に由来する。
  「触」 身体で物に触れて出る欲。六根の「身」に由来する。
  「法」 心のおもむくまま好き勝手にする。六根の「意」に由来する。



十悪と十善
 人は身体、口、心(身、口、意)で罪を犯す。それを十悪に分ける。
 十悪
 身の三悪―――殺(殺生)、盗(盗癖)、淫(淫身)
 口の四悪―――悪口、両舌、綺語(語を飾る)、妄言(でたらめ)
 意の三悪―――貪(むさぼり)、嗔(いかり)、痴(おろか)
十善(改十悪)
身の三善
 一、生命を慈しみ護る。放生。
 二、身を正しく修める。
 三、清浄身とする。

口の四善
 一、善言を言う。
 二、言を一つにする。
 三、正語を言う。
 四、忠言を言う。

意の三善
 一、布施の心を持つ
 二、慈悲の心を持つ。
 三、さっぱりとした心を持つ。



三厭五葷
  霊性は肉体に影響を及ぼし、肉体は霊性に影響を及ぼします。肉体は食物に大きく影響されます。身体の状態が良ければ心の状態も良くなるし、身体の状態が悪ければ心の状態も悪くなります。そこで修道者は三厭五葷を取らない方が良いのです。
【三厭】三種の厭うべき肉類。
三厭は、天厭(鳥類)、地厭(動物、獣類)、水厭(魚介類)です。修道者は、相手 の為になり役立ち、喜ばれる結果を以って功徳としていますが、それは仁心あってこそ 出来ることです。三厭を殺して食べれば罪になります。他で功徳を立てても、功果円満 にならず、道を修めることは出来ません。又。三厭を食べれば血液を汚し、肝臓や腎臓 の負担を重くして、病気に罹り易くなりますし、病気になれば修道が困難です。よって
三厭を禁じています。
【五葷】五種類の臭い草
@ねぎAニンニクBにらCらっきょうDたばこ類
 五葷は食することにより、五臓に害が出ます。五臓が害されれば身体は不調になり、心定まらず、やはり修道が困難です。よって五葷を禁じています。
 [五葷が害を与える臓器]
ねぎ→腎臓  ニンニク→心臓  にら→肝臓  らっきょう→脾臓  たばこ類→肺臓
運転手(霊性)がどんなに立派であっても、欠陥のある車(肉体)ではまともに走れません。燃料も、灯油や重油、不純物の多いガソリンではまともに走れない上に、車の寿命を縮めます。人も同じで、よい食事(燃料)が必要です。それは、菜食、精進料理が適しています。精進料理は「素食」とも言い、最も基本の食物です。現在の栄養学から言えば、とんでもないと言われるかもしれませんが、現代の病気の多さ、複雑さを考えてみれば西
洋式栄養学も考え直すべきです。牛や馬は肉を食べなくても立派な身体をしていますし、何十年も完全な菜食で、病気一つせず穏やかに円満に生活している人も少なくありません。神佛が言われるには、素食(精進料理)にしなければ三期末劫も躱せないそうですから早い時期に改めるべきです。



収円の三佛
  地球の一サイクルは一元(十二万九千六百年)で「子の会」から「亥の会」まで十二
等分されています。その内、「卯の会」から「未の会」まで、十大神佛が交代に天盤を統掌
され、それを七佛治世三佛収円と言います。この三佛は、青陽期の燃灯古佛、紅陽期の釈
迦文佛、白陽期の彌勒古佛を指しています。この三佛は地球の一サイクルを治める三佛で
す。
  「末期一着収円の三佛」と言う時は、最後の白陽期を収円する三佛で、彌勒古佛、天
然古佛、中華聖母です。この三佛は、三曹普渡、特に、三期末劫から衆生を救う重大な任
務を帯びています。
  観音菩薩は助道首領という立場なのでこの三佛とは別です。

 

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