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序
心地良い風が静かに顔をなでて通り過ぎて行く。
めでたい兆しの雲が幾重にも重なり、たなびいている。
美しい色とりどりの雲が、それぞれ金色の光を放っている。
仙佛が整然と理天を出発されて、東土に行かれる時である。
――――――
われら諸天神聖は
ラウム様に従駕する。
ラウム様の御駕は理天を出発されて、東土のこの天壇に到着なされた。全員
ラウム様に随って来た。皆静かに姿勢を正してお迎えなさい。
ラウム様が天壇にて訓示なさいますので、皆心静かにしてお待ちなさい。
神聖も砂文字を中止して静かにし、皆も私語を慎んで静かに姿勢を正してお待ちなさい。
――――――
至る所で戦乱が起き、天災、人災が次から次へと起きて絶える事がない。この時に当り、上天は慈悲の心を以って苦しむ衆生を救済される。そのため、天道が一般大衆に下され人々が救われる。
我は四天天王二十八宿・雷部・風部・虎部・竜部を率いて
ラウム様の御駕を護り、天を離れて天壇に入り、
ラウム様に叩拝し、機筆を止めて話さぬ、両側に侍立す。
――――――
世の万象を一つにまとめる時期に来ている。
千門万教も共に根本の真理に戻る。
早く金の法船に乗り、真の道を歩めば、やがて本来の金色の佛体に帰る事が出来る。
金剛の体は二度と六道に落ちる事なく、永遠に理天で楽しい生活を送る事が出来る。
我は八大金剛
ラウム様の御駕を護り西方を離れ、
ラウム様に参駕して再び話さず。
――――――
衆生は降生して久しき間に自分の霊性を失ってしまい、六道の中を輪廻して、すでに幾年月を過したかも忘れ果てている。
現在上天の慈悲により、大道が降った事を知り、急いで目醒め大道に向って万進せよ。
此の機会を逃すことなく、苦海より脱出する大願を立てなさい。そして堅固な意志を持って修道に励み、本来の潔白無垢の純白銀針にも似た純陽の姿に復しなさい。
吾は南極寿星 八仙を率いて
ラウム様に侍り、東土に臨み、
ラウム様に礼拝をし、筆を止める。
――――――
今の世の中には千門万教が乱立し、それぞれが栄え、発展の途上にある。
しかし、真に衆生を正しい信仰に導く教えは少なく、邪説、荒唐無稽な行為即ち、護符を焚いたり、仙丹・金丹を練るなど、一々列挙するに限りが無い。
この原因は、諸天仙佛神聖(四貴)天盤、地盤、人盤、山盤、水盤(五盤)が共に天命に依り東土に降生して、それぞれに使命を果たしているからである。
四貴、五盤は、その責任を果すために、三佛の会合す美食に出席して、ようやくこれを伝えられる。
これ天理天道の性理の真伝である。誠心を持って性理の真伝を悟れば、自分の自性のみならず、他人の自性をも清浄にする。これこそ唯一の成佛の正道正法で最一の一乗諸佛の妙道である。これは、佛の心伝秘法であり、気天、象天の二界を超越して理天界に直達する妙道であり、これを一本の金線路と言う。 この無上の妙道を以って多くの衆生を迷昧から醒まさせ、道に向わせる。皆、心を固め、志を立て、正道を修行し、その本原に返り、理天に帰るべし。佛子は誰でも、この法船に便乗する資格を持っている。自性は先天のものであり、純然とした天理である。この凡世において、功を立てて、始めてその妙果を為し遂げるべきである。衆生は、ぐずぐずせず、早く大志を立て大願を完遂し、自分一人だけでなく、人々も導き、共に功果円満となって、この喜びを祝わん。
吾等は万仙菩薩 群仙を率いて
ラウム様の御駕に侍り天壇に降臨し、参駕の礼を終らして両側に分れ立つ。
――――――
人は凡事に追われて、東奔西走と忙しく、一息つく暇もない。修道する衆生を考察して、道に対する信念の如何によって、賢・愚に分ける。人の心の正と邪により、悟道の真実の程度を試し、修道心の真と虚を判別する。道・理・天命も真であるので、修道人の心も真でなければならぬ。さもなければ、円満なる結果も得られず、本来に戻り、無極に到達する事も困難である。院中には修道する多数の道親が集っている。今天時の達した事をも知らず、ぼんやりと無駄な日々を送ってはいけない。速やかに愚かな迷いより脱して、真理を悟り、自己の歩むべき道を確認すると同時に、多くの衆生を痴迷より救い出しなさい。そして、長幼年少の序を正して、秩序ある規律を守り、又必要あれば、新しい倫理を制定し、人の歩むべき道を確立し、道徳の根本を全世界に広めて、大同の世界と化す。
我は三天主考・院長茂田
ラウム様の御駕を護り理天を離れ、
ラウム様に参駕し、兄弟達の安否を問う。各々静かにして、我はもう言わず。
――――――
真理を究明し、その玄妙を悟って、これらを実生活に取り入れ、一歩一歩堅実に成全する様に進めば、自然と容姿、言語共に立派になる。
これ清浄円明なる霊性の妙用である。今、師の慈悲により、玄関竅が開かれ一点を得た。道親は修道する事により、悟りの境地に達し、塵の世を脱することが出来る。
吾は悟禅師兄 悟字班を率いて共に
ラウム様の御駕を護り理天を離れ天壇に参り、
ラウム様に参駕し筆を止む。
――――――
心力と心法を尽くす事により、自分だけでなく、他人をも充実させれば、自然と大道も広がる。同時に不利不屈の精神をもってこの塵の中の衆生を救うべきである。この塵の世において、天意に添うように、人事を尽くせば、功も立てられ、やがて多くの衆生を率いて理天に帰り、ラウム様に拝謁する光栄を得る事が出来る。
吾は茂猛大師 茂字班を率いて護駕して降来す。
ラウム様に参駕し、再び語らず。
――――――
中国の人のみならず、全世界の人々を大道に導き、道をもつて世の人の心をもとに戻し、共に仁風に浴する。
先天の大道は、佛の心法の真伝であり、上乗の妙法であって人生の光明な復路である。
道には、奇も巧もなく、自然無為のものであり、是本来の玄妙である。
我は教化菩薩雲字班を率いて従駕する。
ラウム様に参駕し、多く語らず。
――――――
世の中の陰を変えて純陽の世となす。聖仙佛の悲願を実現すべく、経典の中に秘められている微妙な趣旨がまず光明を放出して、世の人々の注意を引く。これ上天の秘宝であり、古聖の伝える心法である。先天大道は今凡世に降りて、あまねく衆生を済度して、塵の世を蓮花郷と変える。仙佛神聖の慈悲で、天・人力を合せて助道に努め、共に法船を運航し、衆生を救う。
我 地蔵古佛
ラウム様の御駕に侍り、天壇に至り、参駕して、もう話さず。
――――――
心情があせりのあまり、安静出来ぬ状態にある。
焦るのは道務が未完成なために、衆生を完全に救う事が出来ず、使命がまだ完遂されぬことを、上天が寛容しないのを恐れる。九十六億の佛子は未だ迷昧から覚醒することなく、俗世の中を迷っている。此の実情を見て心が痛み、悲しみに耐えず、涙を流して大声で泣く。何ら為すことなく手をこまぬいて天時の到るのを待つだけでよいのだろうか。
このような事でどうして上天に対して申し訳が出来るだろうか。衆生よ、早く悟って理を認めて真修しなさい。
吾は汝等の師 済公活佛
ラウム様のお駕に侍り佛堂に降臨し、先に
ラウム様に参駕し、「諸賢徒よ、お元気ですか」と問う。
ラウム様が親臨なされて訓文を示される。静粛に謹聴し、以て至誠を示しなさい。
更に重要なことは、天時が間近まで迫っている。自から修道し、実際に行じ、早く大愿の志を立てて、己を完成するよう大果を立てなさい。
師徒共に手をたずさえて、共に
ラウム様に拝謁することは、師として希望するところであり、また期待するところでもある。
――――――
玄関竅はすでに開かれ、出入りには何ら障害となるものは無い。路は理天に通じており、直ちに登るべきである。この路は、真理が基盤となっており、純然至善の路である。此の清浄なる路は、清浄なる心の人々のために建設され、立派な徳行で善の極地に達した人、理天で生活出来る資格を有する人が自由自在に通行出来る路である。
吾は 関聖・純陽
ラウム様の御駕を護り極楽を離れて天壇に入り、
ラウム様に参駕して両側に侍立する。
――――――
手に一丈八尺(5.5m) の蛇矛を持っている。
法律は尊厳であり、平等であり、情の介入も、寛容も無く、法に依り、厳格に処理する。
悪をなし、罪を作り、天律を犯す者は、何人を問わず、天律に依り、制裁し、決して逃すことは無い。
吾は法律主 桓候大帝なり。岳元師と共に
ラウム様の御駕を護り佛壇に来た。
ラウム様に参駕して、両側に侍立する。
――――――
此の世は、七情六慾の苦海であることを衆生は悟らず迷昧し、或いは、名利を貧り、理に背き、罪を追って災を招き、果報を受けても一向に日を醒すことなく、死々、生々輪廻を繰り返し、永久に苦海に溺れて脱することが出来ずにいる。
今上天は、これらの者を救わんがため、法船を塵の世に就航させられた。天・人共に力を合せて運航して衆生を救い上げる。これ一脈承伝に係る一貫の運航であり、此の救助船に救われなければ、二度と苦海より救助される機会は巡り来ない。
天時を知り、この唯一の救助船に乗る機会を逃してはならない。
我は 月慧菩薩
ラウム様の御駕に侍り天壇に参り、参駕の礼を了らし、再に語らぬが皆様お元気ですか。
――――――
ああ何という悲惨な大災劫であることよ。惨害の極みであり、皆の苦痛、悲哀に堪えない。大水劫が氾濫して、くまなく全世界を没し尽す。火劫がいたるところで出現して一切を焼きつくし、やがて白色の地と変えてしまう。風の劫襲いきて、その悲惨と恐怖のあま、鬼神すらも悲しみの余り大声で泣く。
吾は南海菩薩、普賢菩薩、文珠菩薩
ラウム様の御駕に侍り此の娑婆世界に降り、
ラウム様に参駕して、多く語らず。
――――――
智慧は浅薄で、真理を悟れず、形相のみに執着して、いたずらに寺院で読経、礼拝しても解脱することは出来ず、空しく精神を費やしているだけで効果はない。
人は唯、習慣により、礼拝、読経するだけで、超生了死の立法である真理を追求することを知らない。寺で礼拝する真の意義を知らないのである。明らかに言っておこう。私の遺したコ−ラン経文は、いくら研究し、読誦しても、もし、明師の指点を得なければ、その真義をのぞき知ることは出来ぬし、超生了死も出来ぬ。早く目醒めなさい。今運に応じて、天命明師が別の姿で降世している。
はやく真の明師を尋ねて、得道出来たならば、自然にコーランの真義も明白となり、それに基づいて修道するなら清い心に帰ることが出来る。
我は回教の真神マホメット
ラウム様の御駕に侍り、この佛閣に来た。参駕を終えて機筆を止めて語らず。
――――――
時に応じ、機に応じ、或は事物に託して道を広め、その妙義を明らかにする。吾は十字架上にて死した後、また、十字架の上において復活する。これ玄機の妙理を世の人々に暗示するものである。その時に応じてユダヤ教として迷昧する衆生を渡す。一代の心血を費やして書き残し、以て路に迷う者を導く燈光となす。経典(聖書)の中には、奥妙なる真理が包含されているが、世の人はその真理を悟らずその奥旨を解くことが出来ず、聖人の教も実現されず、聖書そのものは空しく真理を包蔵して世に遺されているだけである。
世の人々は聖書中の奥深い意味を覚る事も出来ぬまま、ついにそれを以て賛美歌の歌詞に使用しているのは大きな誤りである。
吾はキリスト 真主に侍り東土に降り、
ラウム様に参駕黙祷して機筆を止めて語らず。
――――――
谷神は不死不生であって永遠に存在するものであり、この谷神の玄妙なる根元を蔵する処、これを玄牝と名乗る。
元神は形象無く、声無く、臭もなく見ることも、開くことも出来ず、言語では説明出来ぬ。たとえ、説明出来たとしても、それは無理に命名された呼称であって、自然無為の妙体を表すことは出来ない。
世に伝えられている道徳経は、五千言有るが、その本体の妙を表現しつくしてはいない。早く天命明師を尋ねて師を拝し、至道を開き、早めに帰根して、
ラウム様を認めるべし。
吾は太上老君
ラウム様の駕に侍り天壇に参り、礼拝を終え、もう語らず。
――――――
妙智慧を発揮して、佛の無上妙諦を悟り、多くの衆生を度して共に三界を超出して清浄な地に帰り、永久に極楽で過す。大願を立て、誠をもって真に修業すれば、因縁も消え、功果円満となり苦海より脱して理天に帰れる。
真如の自性は一切の幻想を離れた妙有の真空であり、清浄であり、心は霊明である。
塵の世で寝ていて日を醒さなければ、またなんの方法があろうか。
法は彼岸に至る手段であって、彼岸に達してしまったら必要はなくなる。一が真なれば、全て真である。常に不動であり、自性清浄であればなんら妨げるものも無い。これ我本性である。
吾は、西天如来
ラウム様の駕に侍り天壇に降り、参駕を終え、壇階に侍立する。
――――――
万物の深妙の理を極め、人の性を尽くせば至善の境地に達し、これを玄と言う。
人の欲望を浄化すれば、おのずと道と天に合して、明徳至善の境地に達することが出来る。
神の本体を悟り、神化の妙と、生と死の変化の機を明らかに知り、物に本末があり、その本末の所在を知って、大道の本体理性の止る所人類の本来の面目が明らかになる。常に人生の大本を把握し失ってはいけない。
我は大成至聖 文宣王 (孔子)
ラウム様の御駕に侍り、佛壇に来たり。
ラウム様に参駕し、機筆を止む。
――――――
白陽の旗が空中に掲げられている。
白陽の大同世界を建設する信号である。
まるで白い花が風に吹かれて満天下に翻っている様である。
白陽の法門は先天の秘宝で直接理天に通じている大道である。
人々が礼儀正しく品行方正、道徳を守れば、国家も光明である。
道は中原に降ったが、世界各国に普及して一に帰する。即ち一道同風で斉しく中原の法となろう。
金公祖師は天命により三天の大権を掌る。
法会を以って道を天下に伝え、法を天下に広める。
多くの訓を東土に下したが、衆生がその真意を未だ覚り得ず、馬耳東風と空しく開き流している。
我 無皇上帝 万霊の真宰
金華を取って批書を開始すると砂盤上は光輝く。
玉衡を動かして示す事は、全て天地人物を震撼させる妙理である。言うことは衆生の迷を打ち破って真実を明らかにするのである。
綴る字は良言であり、玄機妙理を含んでおり、愚かな衆生を迷昧から覚醒させるのである。
それ、大道とは、言わば道路のようなものであり、人生の路であり、寸時も離れられないものである。往来するには道路がなくてはならない。しかし、道には遠い近いがある。
高く登る所や、又は起伏が多く、平担でない路、明るく歩き易い路、暗くて歩き難い路もある。これは言行が理に合い、正路を歩めば、世間もまた理天での生活と同じである。
もしも、理に反して邪路を行けば、地獄での生活と同じであり、暗黒地獄へ落ちる経路である。
しかも道は千條万條あり、非常に多い。これは世に千門万教あるのを例えて言うのである。
これらは、全て速く目的地に達する正路ではない。ただ現在
ラウムの降したる、先天大道こそ、ただ一筋の金線正路である。
路は直接理天に通じる光輝く大道であり、一歩一歩確実に歩めば象天、気天を超越して直ちに清浄な理天に到達する。
今、正に白陽が運に応ずる時機である。
祖師は天盤を掌り、師尊、師母は道盤を掌り、共に収円の大事業に従事する。
我は白陽の教主 儒童金公
ラウム様の御駕に随って天壇に来た。
ラウム様に参駕して、機筆を止める。
――――――
めでたい兆しの色とりどりの美しい雲が漂い、人々をして荘厳な気持ちにさせる。これはラウム様の駕が理天を出発されたからである。
聖駕の前には童子が宝扇を手に傍らに奉持している。
聖駕は東土に臨幸になられた。
俺 霊宝二童
ラウム様の聖駕に随って壇中に来た。参駕の礼を終え、
ラウム様のお訓を静かに開く。
――――――
子供のことを思うと、心が痛み、悲しみで断腸の思いである。
苦海に溺れている子達を思う度に悲しく痛ましい。
理天の現況は寂しく、冷え冷えとしている。
これは、原佛子を水火の苦難から救うために、諸聖賢仙佛を東土に降生させた為である。
原佛子は迷昧して黄梁の夢の中をさ迷っていて、醒めることを知らずにいる。
ラウムはこのため愁い、悲しみ、傷心していたたまれない。
やむなく、自ら東土に降臨し、子等を尋ねて親しく導く。また数故に弥勒に勅令して天盤を掌らせ白陽の教主となす。張氏は道盤を掌り、道を広く明らかにすることに従事し、共に収円の大任を務める。
天、地、人の三曹の霊を救い出し、理天に帰す。あらゆる層の衆生を救い共に苦海より離脱する。邪教である全ての左道傍門を収拾して、唯一の真理に帰す。千門万教を集めて同じく一道に帰して、三元大会に集合させる。
大道が世に降りてより、各方を普く化して今に至っており、得道した衆生も非常に多くすでに千万を越えている。
しかし、誠心誠意で修道する者は暁の星の数程であり、極めて少ない。特に得難い人は、節操あって道を守り、俗流に屈することなく独立独歩して、更に進んで流れを変えるような人である。
人の先頭に立って重責を担う人才を選抜するのは実に困難である。
ラウムは慧眼を以て各地の道親を観察すると、大多数の者は、道の尊さの認識に欠けており、精進を求めず、反対に後退する者が多い。しかし、その中にも少数ではあるが、進んで行う者もいるが、その者とて健全な心、勇猛なる志気に欠けている。
現在諸天神仙が東土にてさとされるのは、子供達(衆生)を激励し、各自が自覚し、発奮して遠大な志を以て大愿を立てることを望むからである。
これらは、大多数の者が言行を省みることなく、ただ立愿をするだけで実行せず、愿を果していない。
ああ・‥実に嘆かわしきことである。
この実情を見ると血涙が溢れ出るのを禁じ得ない。
吾がラウムの心はいたく傷つく。
故に今佛堂に行臨し、書で以て訓示するのである。親の情に満ちた慈悲の心をもって子供達に警告し、いさめるのである。原佛子よ、奮起して学び、真理を悟り、勇猛心を起して終始一貫した努力で邁進しなさい。寸時の貴重なる時は千金の価にも匹敵する。要は、この時間を活用し只いたずらに浪費してはいけない。この良き日を機会に修業しなければ、永久に機会を失って苦海から脱することは出来ず、恨みを後世に残す。
此の瀬戸際にきて、問題は非常に重大である。十分に熟思せず、無意に過してよいもので
あろうか。
ラウム様の示した書訓は妙意を含み、意義は非常に深遠で広大なるものである。ただ原佛子(衆生)に望むのは、随時随所にて徹底的に努力して悟りなさい。
此の書のある所、千佛万祖も非常に尊重して守護し、全ての天神地神もこれを非常に恭しく加護する。もしも凡人が粗末に扱えば、その身は譴責、災禍を受けること必須である。訓示が終了したら直ちに印刷製本にしなさい。一度書籍となれば、これで永久不変の定理を成し遂げるものである。また、今後に於ける最も微細、微妙な事理を詳細に開明するものである。
決して此の貴重なる本を棚の上に置き忘れてはいけない。熟読して十分に体得しなさい。更にそれぞれの時に応じて懇切丁寧に人々を教化し、確実に、しかも注意深く実行すべきである。
原佛子に期待することは、早く自心、自性を悟り、本来の霊性を回復することである。
本来の霊性に戻ったなら皆で手を取り合って故郷の聖域に登ろう。
原佛子に望むのは、よくこの書訓を尊守して、真心を持って実行すれば、幸いである。
以上をもつてこの書の序文とする。
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